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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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給食&お握り
某サイトで給食とお弁当の話を読んで、、、私の小学校当時の給食を思い出した。
現在の小学校の給食をテレビで見た記憶があって、率直に思うことは「豪華!  羨ましい~!!」

私の給食、小学校時代は昭和なので、、給食と言えば『コッペパンと脱脂粉乳』だった。 
食器も薄い黄色いアルミ製、スプーンも先割れでホーク兼用タイプ? 何時しか四角い紙に包んだバターが出てきたような、、おかずで覚えているのはクジラの竜田揚げとか、、

小さい時には好き嫌いが多かった私は学校の給食がとても苦痛だった、残すことは許されず、食べるまで教室の隅に立たされたり、、
家でも食事の時間は私にとっては苦痛の時間であり、食事は空腹を埋める為に詰め込む作業。 詰め込まないと腹が空いて夜寝れないから、、ご飯を早く詰め込む、早くその場から逃れる、、そのことに専念した。

お握りについて、
幼稚園か小学校の低学年だと思うが、、母親と一緒に遠足?、お昼に母が作ってくれたお弁当を広げてそこにお握りがあったのを覚えている。
所謂母の味=お握りだとしたら、私には味とか、形とか、記憶がおぼろげにしか覚えていない。
某サイトでは“お握り”の話で「家庭の味とか、懐かしいとか、、母の匂いとか、形とか、、」私は全くついて行けない、、手作りのお弁当の話も私はついて行けない、、

中学校からは給食が無くなりお弁当となったが、母が働いて忙しかったし母の口癖で「忙しい、、大変だ」と。
だから、、私のお弁当を作って貰うことが悪いことのように思われ、お弁当について言ったのは「弁当のおかずの汁がこぼれて鞄の中に溢れ、教科書やノートにシミがついた、匂いがついた」この時ぐらいで、、それ以外に何か言ったかは、言わなかったのかこれも覚えていない。
それよりは 弁当が無い時に学校で朝一番に〇〇担当に〇〇パンを注文をして、それを食べるのが楽しかった!!

私は今回思い出して書いていて、とても辛い!! 書いていてドンドン気持ちが落ち込むのです!!
別段私の家が貧しかったわけでもないし、チャンと家があり両親も兄姉もいて、平均的な?生活を送っていたと思うが、、
私は何故か辛くて、辛くて・・・、 何故だか気持ちがドンドン落ち込む・・・・、 
これは私にとって触れられたくない過去の辛い思い出??  自分でもよく判らない、この今の私の気持ち。

過去の記憶 | 【2014-10-16(Thu) 07:00:29】 | Trackback:(0) | Comments:(4)
腰の術後・リハビリ
腰の手術をしてその後のリハビリ生活で、それまでの生活スタイルが一変した。
端的に言えば、アウトドアから、インドアへ、 好きな女性とデートで一緒に食事をするとか、、何処かに出かけるとか、旅行するとか、、そんなことより、早く家に帰って横になって休みたい!! 

こんな体と気持ちになっても、、歳を重ねて将来の不安から縋りつきたい相手を求める気持ちが押さえられずに、
しかし私の腰の状態、経済力、容姿、、諸々鑑みるに私にはそんな資格がない、身分不相応である現実。
これらのことを頭では判っていても、心の何処かに「若しかしたら・・」と、根拠のない希望を持ち続けていたり、、、

それで懲りない私は、出会い系サイトへ登録をして「若しかして相手が見つかる?」と、藁をもつかむ気持ちで、、
しかし、ここでも嘗て私が元気な頃に参加した〇〇パティーで散々思い知らされたことを再確認する羽目に、  詳しくはカテゴリー:出会い系サイト体験談

また性懲りもなく、気になる女性を見つけては相手が独身であることを確認することなく、片思いの恋をしてしまい、
自分だけ盛り上がって・・・・、 実際は失恋すらしていない、、それは恋が始まっていないから、
詳しくは、、ブログのカテゴリー「恋の病

薄々気づいていたこと、それは私が好きになる女性には常に決まった相手がいる! 既婚者だ! 
だから好きになっても詮無きこと、決して報われない!! このことに「いい加減気づけよ!」と自分に腹が立つ!

しかし 今もって前に記事に書いたな夢を見ている。

言い訳をすれば、年齢の近い女性で独身者はいないから、可愛い・若い女性に感心が行く、、
自分の姿を棚に上げて、若い女性ばかり見てしまっている、探している、、
私が若い女性に恋心を抱いて成就する? 某芸能人のような“歳の差婚”が出来る?! そんな馬鹿な!! 
決して実現しないことを知っていて判っていて、何故そんな妄想ばかりしているのか!! これにもとても腹が立つ!

ブログを書いていて人か言われて気づいたこと、『私はマザコン!』  
私は「小さい時から、大好きな母に私の方を向いてくれ!」と言っていたがそれは決して叶うことなく、
だから、その空虚を埋めようとして、私を決して好きになってくれない女性ばかりを意識的に選んでいる??  
そんな女性ばかりを求めている? 選んで好きになっている?!
つまり『私が好きになる女性は決して私の方を向いてくれない!!』 このことに早く気づけよ!!

私は、好きなる人のタイプ・選択を間違っている!! 何時も間違った相手ばかり探して、求めているから駄目なんだ!!

過去の記憶 | 【2014-09-07(Sun) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
腰を痛めて、、
自営業を始めて数年後に腰を痛めた、、そこから長く私の暗黒の時間となる。
詳しくは「自己紹介」を参照して頂け幸いです。

「彼女が欲しいとか、エッチをしたい!!」 のこのような欲望が一切なくなり、 塞ぎこんで数十年経過して、、
これではいけないと〇〇歳を前に急に焦りだして、お見合いをし始めたが、その時には婚活市場における私の商品価値が既に賞味期限が切れていたこと痛感。

お見合いのお世話をしてくれたオバサマに散々言われたこと「年齢が高くなるとお見合いが成立しない」と、
20歳代半ば会社員時代は こんな私でもお見合いの話がドンドン舞い込んできた、それで私は「結婚など何時でも出来る」と天狗になっていたようだ。
それから〇〇年経って、中年と言われる世代になると立場が逆転! 女性から見向きもされない!! 
この現実を目の当たりにして、失ったもの=若さの大切さを知ったが、、時既に遅し。

また職業=収入が年齢の次にお見合いにおいては重要な要素を占め、 女性にとっては“自営業”は当時は敬遠される代表的な職種だった。
今とは時代背景が今とは違っていていることをご理解ください、

数回、お見合いをしたが断られ、それからは〇〇パティーに出かけるようになった。
しかし都会と違い人数が限られると、色んな〇〇パティ―で同じ面子と顔を合わすようになった。
これじゃ駄目だと悟り、 知り合いになった独身男性の数人仲間と自分達で〇〇パティーを開催するようになった。
クリスマスパティーや、〇〇にバスで日帰りで行ったり、年3~4回は開催していた。

そうしているとその中で数人がカップルになって結婚をした、、けれどそれはやはり年齢の若い人であり、
ヤッパリ見た目の若い、明るく面白い男性から、、これは女性にも言えていて、やはり若くて綺麗な女性から先カップルが成立していった。
その後数人いた独身仲間も、パティ―で相手を見つけるか、お見合いで見つけるとか、、徐々にメンバーが減って、ついに活動が自然消滅してしまった。

このころに言われたのが、、私は『特攻攻撃で撃沈タイプ』
何度かパティ―に出かけて判ったことは「自ら積極的に声をかけないと、相手の女性からは絶対に相手にされない!! 
ここは公開ナンパ会場だ!」と割り切って、目を付けた相手に声をかけ話しをした、そこで脈がないと判ると次!! 
傍目にも焦っている中年だと見えたことだろう、、しかしそんなこと構ってられない、どんどん攻めた!

婚活パティ―はサバイバルだ、、武器が無いと脱落していく、私には既に最大の武器=若さが無かった、これは致命傷だ。
お見合いも婚活パティ―も第一印象が重要! 
私は当時から髪も薄くなり、身長も低くハッキリ言って見た目がいいとは言えない。 それらをカバーする?女性を引き付ける話力、トーク力も無く、圧倒的に不利だった。
けれど、私を敬遠した女性を責める気は更々ない、、私も自分の姿、容姿を棚上げて、見た目の綺麗な女性のところに行ったのだから、

このように活発に活動していたが、、腰の痛みが足の痺れを引き起こし、歩行に支障を来して、ついに入院・手術で約3ヶ月程入院を経て通院リハビリが数年続いた、、

そして 以前のように活発に活動できなくなったし、、そもそもその気が失せた、それからは妄想世界へ嵌りだした。

過去の記憶 | 【2014-09-06(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
就職してのち、、
大学を卒業して、某企業へ就職した。 
配属された部署での世間的な“アルアル”つまり社内恋愛・出会いとかは私にはいっさいに無かった。
女性に関心が無かったわけではないが、仕事に集中してやる気になって燃えていたことが大きい、

それでも数年後にはやっと周りを見渡せる余裕が出来て、気になる女性が出来て、暫くして話をするようになり、食事にも誘うことが出来るようなった、その時漠然と「この女性と結婚する・・」かも、こんな考えも頭の中にチラホラと、それなり私の真剣な思いを伝えていた・・・・が、これが全くの私の勘違い! 完全に独り相撲だった。

そんな時に職場に男性が突然訪ねてきた。
話をして知って判ったことに、この男性は某国立大学医学部在籍の学生だったか研修医だったか、ハッキリとは覚えていな
い、
間違いないことは 私が好きになって本気で結婚を考えた女性と既に何年か付き合っている男性であること。
しかも女性の両親にも挨拶も済ませ、 私にはこれこそまさに青天の霹靂!!

確かに、私は相手の女性にに付き合っている男性の存在の確認を言葉ではしていなかった!! これが私のミス。
けれど何度となく誘って食事もして色々話をしていて・・、これは行ける!と勘違いしてしまったのだ。
しかし 現実は私が完全に舞い上がって周りが見えていなかった典型だった。

医学生の彼曰く、、彼女の母親か父親が病気で医学部付属の病院へ入院していて、その時に出会ったと、そこから付き合いが始まり両親にもチャンと挨拶をしていて、今は学生?だが卒業して医師になって彼女と両親の面倒を見ると、、
私はただ聞くしかなかった。。
そして頭の中で何度も繰り返し「まただ・・」と、、私が好きになる女性は何時も彼氏や付き合っている人がいるんだ。 

それから、、暫くして、、会社を辞めて、、家業の自営業をすることになった。

過去の記憶 | 【2014-09-05(Fri) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
大学時代は、、
大学に進学してからも、中高校から好きだった女の子のことを心の何処かに引きずっていたが、
県外へ進学して環境が変わって思い出すことも少なくなっていた。 理系の単科大学だったので女学生が殆どいなくて気になる女性は出来なかった。

それでも3年生の頃だったか、、クラブ活動を続けていた中で試合・遠征で何度か見かける同じ県内の某大学の女性が気になり始めて、 幸い同じクラブ内に知り合いがいたので電話で「〇〇さんと付き合いたいが、彼氏はいるのか?」と聞いてもらったところ「先輩とお付き合いしていて、大学を卒業したら結婚する予定」 ガーン!! またしても既に彼氏がいた!!

お相手に直接告白はしていないが、友人を通じて好意があったことを伝えれたことは後々引きずらずに済んだ。
そしてこれに費やした期間はとても短かったように思う。

クラブ内では、他の大学の女子学生と付き合っている人もいたが、私は以前に比べて羨ましく思うレベルは低かった。
それよりは試合で勝とうと言う気持ちが強くて、彼女が欲しい気持ちは皆無では無かったが、羨ましく思う気持ちはそれ程強くは無かった。

また学業も学年が上がるほど履修しないといけない科目や実験・実習が多く、また部活にものめり込んだし「彼女が欲しいんなぁ~」と妄想する暇な時間が無かったことも幸いだった。
ここでも女性と付き合う経験を積むことが出来なかったが、当時はその経験が重要だとは思っていなくて、 
それよりは前に書いたが部活で味わった悔しい思いが圧倒的に大きかった。

大学の4年間で恋愛や恋で悩んだ? 時間を費やした? 今思い出してもこれだけだ。
けれど不思議に“これ”に関して後悔する気持ちや悔やむ気持ちはない、、

クラブ活動で上級生になって同級生と揉めて、弾かれた悔しさが強いことと、中学から続けた部活で何ら結果を残せなかった悔しさが大きかったように思う。

過去の記憶 | 【2014-09-04(Thu) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
中学校は
小学校を卒業時には私立中・高等学校を受験したが、不合格!  両親の落胆した表情は今でも忘れらない、、
私には兄・姉がいて頭もよくて其々中学受験をして、各々私立中・高等学校に合格! 
私だけ、失敗して公立中へ、、入学当時から家族のなかで『負け犬』のような感情を抱いての中学生活が始まった。

中学1年の時に本気で好きなった女の子が出来た、 そこから私の長年にわたる苦悩の歴史でもあった。
その人は同じクラスの女の子だったのに3学期なるまで、全然意識していなかった。

どんなキッカケで好きになったのかは、全く思い出せない(>_<)
覚えているのは2年生になってクラス替えで別々のクラスになってからのことだ、
好きになったのはいいが、既に付き合っている男子がいた。 クラスの公認?でお似合いカップル!

何がお似合いかといえば、先ず女子はバ〇ケ部で活躍、〇〇市大会で〇位入賞、お相手の男子も当時花形だった野球部、エースで4番。 頭でも運動系でも到底私の叶う相手でない!!
当時野球部は人気ナンバーワンで、そこに所属していてエースで4番とくれば、学校のヒーローだ!!

当時の私は既に付き合っている女の子に告白する勇気もなく、それで諦めたかと言うと、諦めきれずに、長い間引きずってしまい、新たな恋愛をすることが出来なかった。

それで中学を卒業して高校へ進学したのだが、、そこで運命の悪戯と言うか、
偶然にも同じ高校へ中学時代好きだった女の子も進学していた、、しかも中学生の時に付き合っていた男子生徒は別の高校へ、私の恋心が再び燃え上がった。

・・・が、現実は早々上手く運ばない、
彼女にはすぐに彼氏が出来た、しかもまた当時の花形である硬式野〇部のエース、甲子園を目指せる程の実力の持ち主。
またまた私とは雲泥の差、けれどどうしても諦めきれない!! それならダメ元で告白してキッチリ断られたら新たな道に進めたのに、、私はそれをしなかった。
ただ自分の心の中で悪魔と天使の声ではないが「サッサと諦めて、次へ進め!!」と「諦めるな! 一生懸命思っていればきっといつか通じる!」と相反する声に右往左往するだけだった。

結局これは高校を卒業して数年後〇〇高校、創立〇〇〇年、〇〇年度、合同同窓会で顔を合わして、その時にお酒の力も借りて「高校の時には好きだった・・」とやっと言えて、返事が「あら~、そうだったの・・」と軽く受け流れて・・・、 
それまでの私の思いは何だったのか! 中学生から〇〇年間抱き続けた“一途な片思い、恋の呪縛”が一瞬にして解かれた。
すると如何だ!!!
今まで何度も夢で見ていた、憧れ、好みのタイプだったのに、失礼極まりないが「そんなに可愛いか?」 
中高時代にメチャ可愛いと思えたことが、目から鱗が取れる? 
嘘のように好みのタイプだったことが信じられないほどに興味関心が薄れてしまった、、今は全然思い出せない、、
私の『見た目の好み』は如何にあやふやなものだったんだと・・、

過去の記憶 | 【2014-09-03(Wed) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
小学校の時から、、
過去の私の恋愛・恋について、つらつらと書き綴って行くことにします。

小学校の低学年のころ、これが初恋だったのか疑問は残るが、クラスに気になる女の子が出来た。
しかし奥手だった私は、そん素振りを一切見せることなく、ただ遠くから見ているだけだった。
そんな時に運動会のお遊戯・ダンスで男女が順番に相手が変わっていく催し物があって、練習を何度か繰り返すうちにその気になる女の子と手を繋ぐ機会があって、心臓がバクバクしたことを覚えている。

しかし、そんな恋心も何時しか醒めた? その女の子の顏も名前も思い出せない、印象に残っていない、
それから後に気になる女の子はいたように思うが、これまた顔も名前も状況も一切思い出せない、

小学生のモテル要素?「運動・走るのが早い! 面白い!」 全く持ち合わせていない私はクラスの中では印象の薄い存在だった。 そして目立たないおとなしい子供であったので、自ら女の子へ話しかけることも出来なくて、、

今になって気づくことが、
小学校時代から今日に至るまで『私は見た目の印象=好みのタイプ!』 これが女性を好きなる最も大きな要素。
この時から今もその法則?は全然変わっていない、
この私の好みのタイプと言うのが、上手く説明できないのだが、私のパッと見た時の印象で『可愛い~、素敵だ~』と感じるか如何かだ!

5~6年になると塾に通いだしたが、、そこでも見た目で可愛いなぁ~と思う女の子はいたのだが、、遠くから見ているだけで、心の底から好きな気持ちがあった訳ではないように思う、単なる憧れで止まっていたような気がする。

私の恋愛とは全く関係ないのですが、小学校時代の思い出、経験として外せないので書いておきたいことがあります。
私が嘗て通っていた小学校には養護学級があった、 広い教室に年齢が明らかに違う数人の児童が複数の先生と一緒にいて、外から見ていて、黒板に向かって机を並べて勉強はしていなかった。

私達と同じ作りの教室なのだが、、内装が明らかに違っていて壁に手すり、ガラス窓には防護ネット、床にはマットレス?が敷かれていた、そしてその教室には遊具があった。

その養護教室の同じ年齢と生徒と学校行事を、例えば運動会、遠足、音楽会を一緒にすることになっていた。
子供の私は多くの同級生も多分同じだと思うが、それが嫌で嫌で・・・、、見た目・顔つきが明らかに私達とは違っていて、会話が成り立たないし、行動が読めない、当然怒り出すし、泣き出し、鼻水を垂らしいるし、オシッコを漏らすし、

それにもっと嫌だったのは 何やら偉そうな大人がやってきて研究授業? したり顔で私達に向かって「偉いね~!」褒めること、 全然嬉しくない!!
私は嫌々で先生が言うから仕方なく、一緒に〇〇しているだけであって、奉仕や平等の精神?微塵もない、ましてや養護学級に通っている生徒を理解して、受け入れている?  そんな気は更々なかった。

しかしドンナに嫌がっても毎年ある行事には必ずいる。 
そのうちにそれが当たり前で普通?になってきて、〇〇をすれば怒り出すとか、会話は成立しないが、その人のことが何となく判ってきた。

それでも、同級生の中にはそれを知っていて敢えて〇〇して泣かしたり、怒らしたりする人もいたが、それが6年間続くと・・、
因みに当時は学年2クラス、入学してから卒業するまで転校・転入生も殆ど無く、クラス替えしても殆ど知っている顔ばかりだった。

繰り返しなるが、6年間行事ごとにいると、相手が何を言っているのか言葉が通じなくても、何となく顔の表情や動作から推察できるようになった。
しかし 私は積極的に一緒に〇〇しようとはしなかった。 また機嫌を損ねるような〇〇をしない限り、短時間なら静かにしている、、が、、突然立って動き出すことにも慣れて、、

子供私は、同情や、蔑んだり、憐れんだりしたような目では見ていなかった、 また弱者をいたわるとか、可哀想な人だと憐れむとか言う気持ちも無かった。
単純に 「そんな人なんだ・・」と、それだけだった。

なぜ今こんなことを書いたかと言うと、、過去を振り返っていると“これを”書かない訳にはいかない思ったからだ、
今となっては、嫌な辛い思い出ではない!・・、かと言って楽しい思い出でもない!!  自分でもよく判らない、、

過去の記憶 | 【2014-09-02(Tue) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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